2009年12月31日木曜日

2009→2010

いよいよ2009年も最後の日です。

今日がお誕生日の方、おめでとうございます。

1年の初めの日だって、終わりの日だって、365日きょうも誰かの誕生日な訳で。

僕にとって何でもない日が、誰かにとっては特別な日。


今年はあなたと出会い、あなたにお世話になり、あなたに支えられました。

ありがとうございます。

2009年も特別な1年となりました。

これまで過ごしてきた1年1年それぞれが、僕にとって特別な1年です。

だから、2009年「も」特別な1年でした。

2010年も特別な1年にしたいと思います。

皆様よろしくお願いします。


来年はワールドカップです。4年という日々はあっという間です。



ここで、2009年よく聴いたアルバムトップ3を。

1、Special others / Quest

2、Tim Deluxe / The little ginger club kid

3、Towa Tei / BIG FUN

でした。

別に今年発売のアルバムではないものもありますが、よく聴きましたね。

新たな1年の振り返り方を試してみました。



2010年初めから us/itも始動します。

2009年があっての2010年。

来年も宜しくお願いします。




2009年12月25日金曜日

ネットでXmasナイトクラビング

もうご存知の方や、共にフロアに居た方も大勢いらっしゃると思いますが、昨日(12月24日深夜)Ustreamで革命が起こった。

滋賀在住のDJ Okadadaさんが自宅から自身のプレイをUstreamで生中継。

いとうせいこう氏のtwitter での呟きがViewerの数を爆発的に増やしたのは間違いないが、それにしても2200オーバーは革命的だ。

音楽のライブや、クラブイベントに行った事のある人なら、2000人の客を集め、さらに熱狂させることがどれだけ凄い事かお分かりになるだろう。

2200オーバーし、それを数時間維持出来たのは、DJ Okadada氏のプレイもさることながら、それをUstreamで生中継し、それをtwitter で告知?呟き、それが八畳(後に本人から自宅は八畳ニ間だ!とのコメントあり)の部屋から発信されている事に、2200人の観衆は感動したのだろう。

選曲の方も2200人もの観衆を楽しませる内容。少々ベタだなと思われる方もいると思われるが、幅広い年代・ジャンルを用いて、楽しませてくれた。

何よりも23歳(らしい)の青年がテンションあげまくって、自宅で一人で自身のDJプレイを楽しんでいる姿が、僕としては非常に楽しかった。
まるで友人の家に行って、オールでひたすら音楽をかけ続けているだけで楽しんでいるような感覚になれた。


今回の件が、彼の今後にどんな影響を与えていくのかも楽しみだ。


ゼロ年代の最後に、現在のメディアの可能性を見せてもらった。

誰にでも、今すぐにでも、社会に何かを発信する事はできるのだ。

それで多くの人の心を動かすのは、とても難しいけど。

それまで積み上げてきたものや、実力などが必要なのは言うまでもない。


昨夜の出来事で、何か勇気をもらった。楽しませてもらったし。

DJ Okadada氏に感謝したい。

昨日のプレイは残念ながら録画されていないとの事。

逆にそれが、今後伝説化していきそうな予感も。

過去のプレイ
は少しあるみたいです。


ちなみに、名字が同じだが血縁関係はない。と思う。たぶん。


革命を見逃した方は、こちらから色々探検して下さい→mosakiさんのブログ
「okada1伝説2009年のクリスマスに起きた奇跡


2009年12月11日金曜日

book 23


「妖怪アパートの幽雅な日常①」(香月日輪 著)


知人から紹介されて、久々に小説を読んだ。

まずタイトル。どう考えても怪しい。

そして表紙。文庫本ながらも、装丁がなかなかハイセンス。読書欲をかきたてる。

ちょっとフザケた感じの内容なのかな、と読み進めていると、

思わぬところで、ハッとさせられたりする。


「今見えているものが全てとは限らない。」

「今目の前にある、起こっている事を信じられるか。」

「今生きている世界とは別の世界があって、明日目が覚めるともう一つの世界に生きているかも。」


こんな事を考えてしまう。

これは村上春樹氏の小説を読むと、僕はいつも思うことなのだけど、今回も同じ事を思った。

それでも僕は今目の前にある状況を、今生きている世界で、精一杯楽しんで生きるだけ。

もし明日まだ僕が知らない世界にいるとしても。


この本を読むまで香月日輪さんの事は全く知らなかったので、ちょっと調べてみました。

以下ウィキペディアより。

結構面白いプロフールです。

妖怪アパートシリーズは全10巻まであって、文庫になっているのはまだ2巻まで。

これから楽しめそうです。

香月日輪(こうづきひのわ)

2009年12月8日火曜日

アーキフォーラム2008-2009 第13回

2009年12月5日、TOTOテクニカルセンター大阪にて、アーキフォーラム開催されました。
2008-2009シーズン最終回となる今回は、ゲストに松岡聡+田村裕希の松岡聡氏。そして最終回という事で、今年の総括となるシンポジウムが行われました。


松岡氏のこの日のレクチャーを個人的にまとめてみると、
「言語」「プロセス」
この2つになるように思う。

まず、「言語」について。
モダニズム以降、建築は言葉の介入を許してこなかった。「建築は言葉で語らない」という傾向が強く、言葉を軽視してきたという背景がある。この傾向によって、形態重視の傾向が進んでいったのだろう。
建築家の思想が建築そのものの形態で表せなければならないといったような考え方に違和感を覚えていた私は、このような背景があった事を知り、納得がいった。

ただ松岡氏の語る「言語」というのは、「ルール」である。
「言語を使って何が出来るのかを考えるべき」「ルール(言語)を設定する事で、何が生まれるのかを考える」
この考え方には非常に共感出来る。建築を言葉で語る際、多くの場合は抽象的な表現に終始してしまう。 その曖昧さを無くし、明解な言語(ルール)で語る事が出来れば、一般の人にも伝わるし、社会へも伝える事が可能になっていくと思う。

建築を言葉で語る事の必要性は、近年建築家のレクチャーの場が急増している事にも見て取れる。これは建築関連メディアが見出し系に走りすぎた事も大きな要因となっているが、間違いなく建築を言葉で語れるということは、これから重要になってくるだろう。


次に「プロセス」について。
95年以後、プロセスやスタディ重視の傾向が強まっていった。とくに模型での。
しかし、模型がチェックのみになってしまっている事が多い事を氏は非常に残念に感じている。「模型で比較するときに新しい言葉が生まれる」という氏の言葉が印象的であった。
また、現在の建築の教育は、最終講評がメインになってしまっている事が問題であるとも。
これは私も前々から感じていて、学校単位での課題講評でもその問題はあるが、「せんだい」が出来た事によって、それはさらに加速してしまった。一位になる事、賞を取ることが、どれほどの意味を持つのだろうか。


シンポジウムでは、今年のアーキフォーラムの総括が行われた。
各回のレクチャーにキーワードをつけていた。
1、原理・生成
2、環境
3、インテリア
4、エクステリア
5、リノベーション
6、ローカル
7、制度⇔自由、空間生成
8、住宅、アイコン
9、日本(史)
10、ビヘイオロジー
11、履歴
12、コード

各回の講演については、アーキフォーラムのHPを見て頂きたいのだが、このようにキーワードを与えていくのは非常に分かりやすくて良いなと思った。建築を一言で表す事は非常に難しいが、上手くキーワードがハマった時には、非常に分かりやすく、比較し易くなる。

シンポの中で印象的だったのが、東工大の建築教育について。
東工大は、「論文の教育」を実践しており、「論文で言語の強化を行い、コンペで実践する」という方法。
「何をつくるかより、何を考えるか」を重視しているとのこと。

やはり、これからは「言語」「言葉」で建築を語り、伝える必要がある。
建築を社会に一般に開いていきたいと考える私には、非常に重要な課題。

ただし、言語やプロセスを重視するというと、よく「じゃあ形態やカタチには興味ないのか」と言う人が多いが、決してそうではない事をここに記しておこう。

今回のシンポは、「モノを創るのはそんなに難しくない。議論の場を続けていきましょう」という言葉で締めくくられた。


今年のアーキフォーラムは今回で終わり。
来年は「誰がために建築は建つか」といテーマで、満田衛資氏、山口陽登氏。








2009年12月5日土曜日

Book 22


「空間から状況へ -10city profiles from 10 young architects」(五十嵐太郎 編)

先日行われたArchitecture After 1995展のシンポジウムで、2000年に開催された空間から状況へ展との比較が多くなされていたので、理解を深める意味を込めて本書を読む事にした。

参加した10組の建築家を二組ずつに分け合計五回のシンポジウムをまとめた本。
参加した建築家陣はアトリエ・ワン、ファクターエヌアソシエイツ、遠藤秀平、西澤立衛、阿部仁史+小野田泰明、梅林克、クラインダイサムアーキテクツ、マツオカ・ワン・アソシエイツ、みかんぐみ、宮本佳明各氏。

各組に共通しているのは、「かたち」のみに拘るのではなく、今、社会で起きている事、その時の状況に反応したり、生かしたりしようとしていた事。
その思考の仕方は現在にも受け継がれている。
特に今回のAA95展に出展した建築家の方々は、新たな奇抜に形態のみを生み出そうとするのではなく、現在の社会状況の問題を指摘し、建築で解決しようとしており、共通点も見いだせた。

五十嵐太郎氏がAA95展のシンポジウムに於いて、「空間から状況へ展」に出展していた建築家とAA95展に出展していた建築家との共通点を指摘し(若干無理矢理な所もあったが)、何を受け継いでいるのかを提示しようとするのも理解出来た。

また11月14日のシンポジウムの締めくくりとして、「『空間から状況へ』の状況は今ますます加速している。それに対してこれからどう対応していくのかが重要」と話したdot architectsの家成さんの言葉も、この本を読んでこそ理解が出来た。

約10年前に行われた展覧会の内容を編集している本書であるが、現在においても充分理解出来るし\、参考になる内容となっている。
むしろ、10年経った今読む事で、10年前の状況と現在の状況を比較する事も出来る。
私個人の感想としては、10年前と今では建築を取り巻く環境は劇的には変化している訳ではない印象を抱いた。まさに、上記の家成さんの言葉にあるように、10年前の状況が引き続いていて、むしろ加速している。

10年前に建築家達が提示した内容が、この10年でどのような結果を得て、これからの建築家はどのような提示をしていくのか。
それを考える事は、非常に重要な事に思う。

2009年12月1日火曜日

JIA まちづくりセミナー2009 藤村龍至氏講演会

2009年11月26日、TOTOテクニカルセンター大阪にて、JIAまちづくりセミナー2009での藤村龍至氏の講演会が開催された。

私にとっては今回で4回目となる藤村氏の講演会。しかも3ヶ月間で。

今回も何か新しい発見があればと思い参加してきた。


今回は事前に藤村氏から、超線形設計プロセスと批判的工学主義のフルコースのプレゼンを行うと伝えられていたので、これまでのプレゼンとどう違うのかも楽しみにしていた。


批判的工学主義と超線形設計プロセスの内容については、思想地図〈vol.3〉特集・アーキテクチャ (NHKブックス別巻)の藤村氏の論文が非常に分かりやすいので、そちらを是非読んで頂きたい。

という事で、ここでは私が再確認した事や新たに発見した事を書き留めておきたい。


まず、藤村氏のバックグラウンドが現在の活動にかなり影響している事。藤村氏は開発初期のニュータウンで育ったそうだ。そこで作られていった郊外独特の空間やコミュニケーションの均質さに違和感を覚えたとのこと。そこから濃密なコミュニケーションへの憧れを抱き、それを建築で実現したいと氏は考えている。

UTSUWA の設計においては、関わっている人とセッションしながらモノを創っていくこと、セッションの中に創造を立ち上げていくことを見いだした。

HOUSE Hでは、クライアントの要望を汲み上げてまず内部のプランが完成し、それから外部の関係性を検討していった。内部の関係性を維持しながら外部を考えるという手法。
このあたりから、外部との関係性、都市との関係性を重視した藤村氏の設計手法がみてとれた。
藤村氏は意図的に外部空間との関わりをプレゼンしている事が分かった。それは、多くの場合外部との関係が問題になるし、内部ばかりを語っていては都市の問題は解決しないとの考えからだそうだ。


次に、超線形設計プロセスのの効果を改めて確認しておくと、
①固有性をより正確に読み取る事が出来る。この場所にしかない形式を抽出する事が出来る。
②複雑性をより確実に構築する事が出来る。1つの形に様々な意味を重ねていける。
③スピードがある。

「その場所のコンテクストをどのようにカタチに入れ込めるか」、「場所性なき場所の固有性をどれだけだせるか」この2点はかなり大きなテーマとなっていると思う。

さらに超線形設計プロセス論の優れているところは、建築設計のみならず、その応用編として教育手法にも用いている事だろう。もしかしたら、これからさらに応用されていき、様々な分野に用いる事も可能かもしれない。


今回は初めて批判的工学主義のプレゼンを聴き、非常に明解な説明が行われた。
まず工学主義の定義として、
①建築の形態はデータベースによって自動的に設計される。
②人々の振る舞いは建築の形態によってコントロールされる。ex.)コンビニの動線など
③データベースと人々の振る舞いの間に建築は位置付けられる。
   ↓
純粋工学主義=匿名的

それに対し、批判的工学主義とは、「工学主義を分析し、戦略的に再構成する」。
①非場所的場所性→郊外に新しい場所性を描く。
②非作家的作家性→固有性と効率性を両立する新しい建築家像へ。
                ↓
            ARCHITECT 2.0


また、会場からの質疑応答を聴いていて私が個人的に驚いたのは、「かたち」というものにこだわっている人が予想以上に多かった事である。
超線形の可能性を認めながらも、「藤村氏はカタチに興味があるのか無いのか」という事を執拗に問う人もいたし、建築や都市計画で最初に「最終形」を考えずに設計していく事が理解出来ないという風な人も見てとれた。
私が想像していた以上に、これまで当たり前とされてきた設計手法から離れられず新しい手法を受け入れられない人は多いのだろう。
これまでの設計手法によって、都市どんな建築が多く作られてきたのか、どんな都市計画が行われてきたのかを、もう一度考えてみる必要があるはずなのに。

最終的に、藤村氏は「設計の醍醐味は、設計前の人間関係の形成にある。コミュニケーションの場をつくる事、社会関係を再構築するための建築をつくることが目的である」と言い切った。
dot architects安川氏のレポート
にもあるように「コミュニケーション人間」である事を宣言したのである。
おそらく「藤村龍至はカタチには興味のない建築家なんだ」という印象を持って会場を後にした聴衆の人もいるだろう。

しかしそうではない。コミュニケーションは、これからかなり重要なテーマとなってくるだろうし、これからの建築に必要とされるものの1つに「自発的なコミュニケーションを生み出す建築」は間違いなくあるだろう。

そのコミュニケーションを藤村氏は重要視し、建築を通して社会に訴えていこうとしているのだと思う。決してカタチに興味がないのではない。藤村氏は「形態を単純化するときに意味を重ねていく」とも言っているのだ。


DESIGNEAST、OCT、AA95展、そして今回と、藤村氏の考え方に高い密度で触れる事が出来た。
私の建築、都市、そして社会に対する視野は間違いなく広がった。いや、広げてもらった。

特に上記批判的工学主義の①で記した、「非場所的場所性→郊外に新しい場所性を描く」というテーマは、まさに私のテーマと重なっているし、これが私が建築の道に進もうとした理由の1つでもある。
そういった事からも、藤村氏の動きににはこれからも注目していきたい。
出来ことなら、AA95展のように何らかの形で関わっていきたい。