2011年12月22日木曜日

頂点





TOYOTAクラブワールドカップ決勝戦(三位決定戦を含む)を観に行った。

たまたま横浜で用事があり、たまたまチケット持ってた人が行けなくなり、たまたま一階席で観れ、たまたまタダだった。

たまたま試合内容も素晴らしく、興奮冷めやまない感じです。
これが世界一。

世界一はフォワード不要。
強いて言うなら、ダニ・アウベスがフォワード。

注目のピケが途中交代なのは大変残念でしたが、大満足な一日でした、三位決定戦は別として。

子どもと女のコはみんなメッシのユニフォーム着てた。

僕はピケのユニフォームを売店で探しまくりましたが、ニセもんしかありませんでした。
なぜ。


あと、日産スタジアムは席の幅が狭すぎます。
成人男性が並べば、常に肩が当たります。
ワールドカップの時の人数満たすためか知りませんけど、設計に疑問。数字だけで設計した感じ。


2011年12月12日月曜日

ジム





週末の試合。
結果は敗戦だった。
けど、これまでの敗戦とは内容が違っていた。
まだまだの内容だったけど、全日での関西リーグのチームとの試合経験が、かなりデカかった気がする。

トーナメント戦といあガチンコの状況で、強いチームと戦えた経験の大きさを改めて感じた。


そんな中感じた体育館という建築。
試合の見やすさはもちろんのこと、試合のやりやすい体育館というが確実にある。

奈良でいうと、橿原公苑>平群>川西。
コートの大きさは同じなのに、やりやすさの違いがある。
壁の近さとか、天井の高さ、観客席との距離とか。
要因は色々ありそう。

美術館とかと同じで、様々な使い方に対応しようとすると、ホワイトキューブになってしまう問題と同様の問題とかあるのだろうか。

特定のスポーツ専用競技場とか経営面の問題とかあるし、なかなか難しいのでしょうね。

ちょっとリサーチしてみようかと思います。

2011年12月10日土曜日

バル




久々に飲まれました。

初めて行った店で隣の人と仲良くなって、一緒に飲む。
そのあと来る人来る人と一緒になって飲む。
そんな事が出来る店が良い。
そういう店は、店自体にそういう雰囲気があるし、店員さんにもそういう雰囲気がある。お客さんにそうさせる何かがある。

決して建築的に、よい「空間」とは言えないけど、居心地の良さがある。

結局「空間」とは何かって話。

アホみたいに飲みながらも、そんな事を考える日々。

そんなこんなで明日はリーグ戦。残留確定ではないし、相手は強い。
全日は惨敗したけど、得たものもある。
這い上がる。

2011年12月4日日曜日

じっぺい






明日は全日本フットサル選手権奈良県予選準決勝。
相手は関西リーグのチーム。
楽しみで仕方がない。

まだまだ出来てない事だらけやけど、今の自分がどこまでやれるのか知りたい。

公私ともに覚えたい事だらけ。
日々是勉強。
そこに留まらない。
目線の違い。
stay foolish

されど色即是空。


うちの犬がZIPPEIに激似。



2011年11月12日土曜日

積み木





明日が全日予選が始まります。
トーナメント戦負けたら終わり。
勝てば次は関西リーグのチームとの対戦になるはず。
やりたい。

下手なりにも自信を持て。

仕事もスポーツも今までの積み重ね。

積み木は崩れません。

さつまいも。

2011年11月2日水曜日

かえる岩




週末はフットサルの県リーグでした。

待ちに待った勝利をもぎ取った。
6対5とギリギリのスコアだったけど、絶対に負けられない闘いがそこにはあった。

個人的には全く満足出来ない内容で、課題山積みな状態やけど、勝つ事に意味があった。

降格争いから一歩抜け出した。
前を向いていくしかない。
来週は全日が始まる。


ところ変わって、お伊勢参りして、赤福食って、夫婦岩とか見て観光してやった。
伊勢神宮でドイツ大統領に手を振ってもらった。
まわりゃんせで初めて賢島までいってみたり。

リアス式海岸め!

夫婦岩にはカエル岩がくっついています。

2011年10月19日水曜日

shuhari



しゅはり。

先日とある機会にお会いした人と話しをしていて、今更ながら意味を知りました。

以下、weblioより引用

守・破・離


では習。絶・真ともいい、あらゆる道の修行における順序段階教えている。

・守― 教え守り私意さしはさむことなく、ひたすら基本身につける段階である。書道楷書にあたるもので、一点一画ゆるがせにしない心配りが大切である。

 
・破(は)―守の殻を破り躍進する時代である。いままで教え基礎とし、中核として、自己の知能個性発揮して次第自己の剣道創造する時代書道行書にあたる領域である。

 
・離(り)―孔子七十にして矩(のり)を超えずの境地であり、あらゆる修行結果我が思いのままに行動して、いささかも規矩にはずれることなく、一つの形や流儀流派とらわれるともなく自由闊達自己の剣風を発揮できる時代である。
書道
草書の位である。


英語では、

  Shuhari; three stages of learning mastery: the fundamentals, breaking with tradition, parting with traditional wisdom


スポーツ等ではよく用いられる考え方らしいけど、
全く知りませんでした。。

何事も守破離の思考でいきたいものです。
学ぶ姿勢を忘れたら終わり。

京都にあるshuhariよく行ってたのに全く知らんかったです。 

写真は辻利、もとい都路里のインテリア。

2011年10月17日月曜日

リーマン

週末はいつも利用しているフットサル場から飛び出し、京都の大会に出場。

いつもと違うピッチ、レベルの違いに、みんな少なからず不安を持っていたけど、

結果は優勝。

決勝は予選リーグで負けた相手にリベンジ成功。

ほんま勝負強い。

「上手い」と「強い」は違うと改めて実感。

これまでやってきた戦法が全部成功。
に加えて、日頃の練習のおかげで走り負けなくなった。

今の状態なら、そこらへんの大学生には負けへんなー。

大会自体、他のチームの試合を観てるチームが多いし、良いプレーがあれば拍手も起こるし、いい雰囲気の大会だった。

奈良の大会もあんな雰囲気になれば良いなと。

久々に燃えました。


全然関係ないけど、サラリーマンじゃない人がサラリーマンを馬鹿にするのはやめましょう。
サラリーマンになるためにはサラリーマンになるための資質・才能がいる。
サラリーマンになれない(ならない)人にはその才能がない。
才能がない人が、ある人を馬鹿にするのは間違ってる。
それぞれ異なる才能がある。

僕もサラリーマンを辞めて暫く経って、その事に気がつきました。
忘備録。



2011年10月13日木曜日

今井町




奈良県の八木にちょっと用事があり、その帰りに初めて今井町にブラリしてきました。

思ったより広範囲。

奈良町よりしっかり保存しようという意気込みが感じられました。

街の中に生活が根付いていて、こんな風に昔の街並みが残せていけたらいいなと感じました。

また行きたいというより、住みたいと思える場所でした。

2011年10月11日火曜日

体幹トレーニングはじめました

友人の職場に現役総合格闘技の選手がいるらしい。

その人曰く、腹筋を何百回やるより体幹トレーニング30秒×数セットやった方が良いらしい。

体の軸がブレないからシュート力も格段に上がるらしい。
なるほど。

やり方は至ってシンプル。

両肘をついて、体を真っ直ぐにして30秒耐える。

15秒ぐらいから腹筋プルプル。

2セット目からは背筋もヤバい。

その他にも三種類ほど教えてもらったけど、まずはこれから。

これはテレビ見ながらでも出来るから良い。

お腹も凹むみたいです。


スティールの中にはケツが出てる人がいる事が判明しました。

家の目の前にアパートが立ち上がってまいりました。
積○ハウス。
やっぱプレファブリケーションは早い。





2011年9月26日月曜日

冷蔵庫



新しく冷蔵庫を購入。

最近の冷蔵庫は機能ハンパない。
あったかいもんそのまま冷凍出来るやつとか。

見た目重視で、自動製氷は要らないって事で購入。

シンプルに。

2011年9月6日火曜日

5節→6節

5節もまたもや大敗。
勝たなければいけない試合でまさかの負け。
もう一度仕切り直して、前を向いて行くしかない。

6節はすぐそこ。

盆に宮島にいってきました。




鳥居の下に群がる人。人。
無論、私も群がりました。

鳥居のいたるところにお金が挟まってました。
人はお賽銭がお好き。

2011年8月4日木曜日

4節

リーグ戦第4節。
結果は2-8で惨敗した。

しかし結果は惨敗でも得るものは多かった。

前節とは違い、チームとして戦えた事は大きかったと思う。
個人的に今節の内容次第ではチーム解散の危機なのではないかと考えていた。
が、次に繋がる試合内容だったように思う。
言葉にするのは難しいけど、チームとしての一体感があった。

それでもチーム状態はまだまだ良くなく、
若いやつらも色々考えている。
一応長年サッカーをしてきた経験と、人生の先輩として、
出来る限りの事をしてやりたい。

そーいえばデビュー戦だった。
大学以来の公式戦。
緊張はなく、悔しかったが楽しかった。
やっぱり強い相手とやるのは面白い。
リーグ戦は同じ相手と2回対戦出来るので、次は負けん。

1勝3敗となってしまい、優勝は絶望的。
残留は最低ライン。3位を目指す。
密かに11月の全日本選手権に照準を向ける。

やることは多い。
当たり前の事の精度をまずは上げていこう。


闘将・松田!!!!

2011年7月29日金曜日

ぞの

日曜はいよいよフットサルのリーグ戦。最大の山場。

難しい試合になるのは間違いない。
けど、負けるつもりは更々ない。

チームの状態は良くないが、どんなスポーツでも気持ちで勝る方が勝つ事は多い。

気持ちが折れたら負け。そういう試合になると思う。

両足ともに状態は良くないけど、今出来る最大限の準備をする。
当たり前の事。

今を乗り越えれば光は見えるはず。

ゾノ!

2011年6月22日水曜日

BLANKEY JET CITY/ D.I.Jのピストル



FujiRock'00のライヴ。解散直前。

こんな日本人バンド他にいません。
ドラムが神。

色あせない。
ドキドキするようなイカれた人生。

2011年6月10日金曜日

神聖かまってちゃん「ロックンロールは鳴り止まないっ」

仙台、地震、そして家族(3)





震度4の地震が度々襲ってくる。
関西に住む僕の感覚では、これはもはや余震ではない。

余震の中、僕はただただ母とテレビを見続けた。
ひかりTVでバルサの試合を見たり、Fリーグを見たり。
これはいつも実家で僕が取っていた行動である。
ただ以前のように普通に過ごした。

夜は帰宅した父から震災後の1ヶ月の話を聞いた。

3月11日の翌日から仕事に向かったこと。
3日後からは担当エリア(東北全域)の被災地を見て回ったこと。
正直見て回るような余裕はなく、復興に向けた事務所をどこに設置するかしか考えられなかったらしい。(父は某建設会社勤務)
父の会社の住宅は寄せては返す津波に耐えたらしい。
お客さんの中には、津波によって無くなっていく街の中で自分の家だけが残っている様子を高台から見ていた人もいるそうだ。

父はあの日から毎日作業着を着て出社している。


そんなこんなで、滞在期間はあっという間に過ぎてしまった。
仙台市街は既に賑わいを取り戻していた。
少しでも復興に貢献したい思いでカバンに入るだけのお土産を買った。

結局何も助けにならなかったのではないかと罪悪感を感じながら帰路についたが、
母からメールが届いた。

「久しぶりに普通に過ごせてホッとしました」

今回行って良かった。そう思えた。
ボランティアさえ出来なかったが、家族を安心させてあげられることは僕にしか出来ないことだ。



あの日から間もなく3ヶ月が経とうとしている。
現地はどうなっているのだろう。
ニュースもだんだん取り上げなくなってきているし、
トップニュースは某総選挙である。

被災地に家族・知人がいる人には、是非顔を見に(見せに)、行ってあげてほしい。
そうでない人も、是非東北に遊びに行って、お金を落としまくってほしい。

一刻もはやく皆様に平穏な日々が訪れることを祈っています。

2011年5月26日木曜日

仙台、地震、そして家族(2)



歩道はマンホールの部分を残して、多くの場所で陥没している。
津波で流された車は車道の端や、歩道に置かれたまま。
それを避けながら、自衛隊の車とトラックが走る。

瓦礫の中に船が浮かぶ。

そこにあるはずのものが、そこにはなく、
そこにないはずのものが、そこにある。

津波が到達したであろう境界線に立つ。
なぜここが境目なのか。
なぜここが運命の分かれ目だったのか。
その線を境に明らかに世界は違っていた。

そこから被害にあった場所ではなく、被害を免れた場所を見に行った。

子供たちは楽しそうに鬼ごっこをしている。
お母さんは笑いながら世間話をしている。
おばあさんは新たに畑を耕し始めている。

下校中の中学生は体操服にヘルメットを被ってチャリに乗ってるし、
女子たちは買い食いしながら集団で歩いてる。

高校生は腰パンで歩いてるし、
大学生は前髪をいじりながら就職の話をしている。

いつもの生活を取り戻して、取り戻そうとしていた。

仙台駅に到着すると、たくさんの人で賑わっていた。
駅周辺のビルはタイルが落ちたところは多かったようだけど、
大きな被害はなかったようす。

両親の住むマンションもタイルが剥がれ落ちたり、コンクリートに亀裂が走っているところもあったけど、既に診断もしているらしく問題ないそう。

地震で家具が全て倒れ、テレビは割れ、食器類が割れてぐちゃぐちゃになったと聞いていた家は、
すっかり片付いていた。壊れている家具がいくつかあったけど、全損判定を受けた部屋とは思えない。

が、母親の顔を見て話を聞いていると、やはり精神的に傷を負っていた。
断続的に続く震度4クラスの余震と、テレビでひたすら流される津波と被災地の映像。
「その映像をずっと見ていると、地震の怖さを思い出すのと、助かって普段通りの生活に戻りつつある自分が避難所で生活している人に申し訳なくなり涙が出てくる。」と母は言った。

メールや電話では、「大丈夫」と繰り返していた母も被災していたのだ。

僕は翌日から被災地を見てまわる事を止め、滞在中は家族と過ごすことに決めた。


(3)に続く

2011年5月21日土曜日

TOWA TEI "SUNNY"

テイさんのニューアルバムっす。
最高っす。




データ版→mach

2011年5月20日金曜日

仙台、地震、そして家族(1)


4月中旬仙台に行ってきたので、そのことを少し。

仙台には両親が住んでいる。
もちろん3月11日あの瞬間も仙台にいた。

地震の直後、幸いにも母親と一度だけ電話が繋がり、両親の安否は確認出来ていたものの、
度重なる余震もあり、母親からは「仙台には来るな」ばかり。

それでも両親の顔を見ずにのほほんと暮らしているのは、やはりやり切れず、
一ヶ月が経ち、ようやく仙台に向かった。


空から見た仙台空港周辺は本当に別世界だった。
まるで空襲の後のようだった。
涙がでた。

仙台空港は再開したとの事だったが、一歩空港から外に出れば、
瓦礫の山。


しかし、それは瓦礫なんかじゃなく、
ひとつひとつに記憶が宿っていた。

記憶のひとつひとつが、そこらじゅうに散らばっていた。


そう、建築には記憶が宿るのだ。

建築家が設計したものであれ、ハウスメーカーが建てたものであれ。

その記憶の宿った建築は一瞬でバラバラにされてしまった。



そこにあるのは、強烈な記憶の破片と建築の弱さ。


仙台空港から海岸線を北上し、仙台市街へと歩いた。

仙台空港周辺には瓦礫の仮集積場が設置され、そこに向かうダンプカーと自衛隊の車でいっぱいだった。

歩く人は殆どおらず、砂埃の舞う道をひとり歩き続けた。


(2)へ続く

2011年5月16日月曜日

TOWA TEI "Mind Wall"

"The Burning Plain" TOWA TEI with Yukihiro Takahashi & Kiko Mizuhara

7つの習慣―成功には原則があった!

さて、某資格試験の一次が終わったので(多分死亡)、久々の更新。

「7つの習慣―成功には原則があった! 」(スティーブン・R・コヴィー 著)






珍しくビジネス書です。ビジネス書で検索したら一位でした(当時)。

全ての物事は「信頼」が前提となっていること。

信頼関係がグラグラな状態で物事を進めても、絶対に上手くいかない。

当たり前の事やけど、よくいう信頼関係とはちょっと違う。

本当の「信頼」とは何かを考えさせられた。


「win - win または no deal」という考え方。

win-winの関係ってよくサラリーマン時代に聞いてたけど、その響きが胡散くさすぎて大嫌いだった。

先日あったサラリーマンの方も使っていて、相変わらずだなと思った。

が、そこに「no deal」が付くだけで、こんなにも考え方が変わるのかと。

やはりここでも、前提になるのは信頼関係。

結局、人間として信頼、尊敬して、されなければ、
何事も上手くいかない。

上手くいかなかった事を悪いこととするのではく、
事前にno dealの考え方を双方が確認できていれば、
その後の関係も上手くいくのだ。

昔よくビジネス書を読んでいたけど、
多くのビジネス書は小手先のコミュニケーション方法や生活の仕方を語っているのに対し、
それらとは少し、ずいぶん違う内容でした。

2011年3月21日月曜日

蛍光マーカー



2級建築士の法令集マーキング用にもってこい。
法令集の薄い紙でも殆ど裏写りしない。
間違えたら消せるし。(ラバー部分が汚れてると、ラインを消したときに汚れて黒くなるけど。)
ラバーの汚れにさえ注意していれば、かなり良い。

オススメです。

震災

今回の地震・津波により大切な方を亡くされた皆様、心からお悔やみ申し上げます。
そして現在も避難所などで非常に苦しい生活を強いられている皆様、あと少し頑張って下さい。

仙台在住の私の両親は幸運にも無事でした。
自宅は家具は全て倒れ、テレビが割れたりして、ぐちゃぐちゃになったようですが、犬のアリスも含めて三人とも無事でした。

仙台市中心部は既に電気・水道は復旧していて、生活は何とか出来ているようです。
ガスが使えないため、風呂に入れない日々が続いているそう。
電話越しの母は、それでも自分たちは幸運だと元気そうだった。

すぐにでも仙台に行き何か手伝いたかったが、今行くと食料もギリギリだし、逆に邪魔になってしまうことが、母との電話で分かりました。


自己満なボランティア、被災者支援だけはしないように、
僕にできることは何なのか考えます。

募金はさせてもらいました。

皆さんの幸福を祈っています。

peace.