しゅはり。
先日とある機会にお会いした人と話しをしていて、今更ながら意味を知りました。
以下、weblioより引用
守・破・離
仏教では習。絶・真ともいい、あらゆる道の修行における順序段階を教えている。
・守― 教えを守り私意をさしはさむことなく、ひたすら基本を身につける段階である。書道の楷書にあたるもので、一点一画をゆるがせにしない心配りが大切である。
・破(は)―守の殻を破り躍進する時代である。いままでの教えを基礎とし、中核として、自己の知能や個性を発揮して次第に自己の剣道を創造する時代で書道の行書にあたる領域である。
・離(り)―孔子の七十にして矩(のり)を超えずの境地であり、あらゆる修行の結果我が思いのままに行動して、いささかも規矩にはずれることなく、一つの形や流儀流派にとらわれることもなく、自由闊達に自己の剣風を発揮できる時代である。
書道の草書の位である。
・守― 教えを守り私意をさしはさむことなく、ひたすら基本を身につける段階である。書道の楷書にあたるもので、一点一画をゆるがせにしない心配りが大切である。
・破(は)―守の殻を破り躍進する時代である。いままでの教えを基礎とし、中核として、自己の知能や個性を発揮して次第に自己の剣道を創造する時代で書道の行書にあたる領域である。
・離(り)―孔子の七十にして矩(のり)を超えずの境地であり、あらゆる修行の結果我が思いのままに行動して、いささかも規矩にはずれることなく、一つの形や流儀流派にとらわれることもなく、自由闊達に自己の剣風を発揮できる時代である。
書道の草書の位である。
英語では、
Shuhari; three stages of learning mastery: the fundamentals, breaking with tradition, parting with traditional wisdom
スポーツ等ではよく用いられる考え方らしいけど、
全く知りませんでした。。
何事も守破離の思考でいきたいものです。
学ぶ姿勢を忘れたら終わり。
京都にあるshuhariよく行ってたのに全く知らんかったです。
写真は辻利、もとい都路里のインテリア。