2011年5月20日金曜日

仙台、地震、そして家族(1)


4月中旬仙台に行ってきたので、そのことを少し。

仙台には両親が住んでいる。
もちろん3月11日あの瞬間も仙台にいた。

地震の直後、幸いにも母親と一度だけ電話が繋がり、両親の安否は確認出来ていたものの、
度重なる余震もあり、母親からは「仙台には来るな」ばかり。

それでも両親の顔を見ずにのほほんと暮らしているのは、やはりやり切れず、
一ヶ月が経ち、ようやく仙台に向かった。


空から見た仙台空港周辺は本当に別世界だった。
まるで空襲の後のようだった。
涙がでた。

仙台空港は再開したとの事だったが、一歩空港から外に出れば、
瓦礫の山。


しかし、それは瓦礫なんかじゃなく、
ひとつひとつに記憶が宿っていた。

記憶のひとつひとつが、そこらじゅうに散らばっていた。


そう、建築には記憶が宿るのだ。

建築家が設計したものであれ、ハウスメーカーが建てたものであれ。

その記憶の宿った建築は一瞬でバラバラにされてしまった。



そこにあるのは、強烈な記憶の破片と建築の弱さ。


仙台空港から海岸線を北上し、仙台市街へと歩いた。

仙台空港周辺には瓦礫の仮集積場が設置され、そこに向かうダンプカーと自衛隊の車でいっぱいだった。

歩く人は殆どおらず、砂埃の舞う道をひとり歩き続けた。


(2)へ続く

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