4月中旬仙台に行ってきたので、そのことを少し。
仙台には両親が住んでいる。
もちろん3月11日あの瞬間も仙台にいた。
地震の直後、幸いにも母親と一度だけ電話が繋がり、両親の安否は確認出来ていたものの、
度重なる余震もあり、母親からは「仙台には来るな」ばかり。
それでも両親の顔を見ずにのほほんと暮らしているのは、やはりやり切れず、
一ヶ月が経ち、ようやく仙台に向かった。
空から見た仙台空港周辺は本当に別世界だった。
まるで空襲の後のようだった。
涙がでた。
仙台空港は再開したとの事だったが、一歩空港から外に出れば、
瓦礫の山。
しかし、それは瓦礫なんかじゃなく、
ひとつひとつに記憶が宿っていた。
記憶のひとつひとつが、そこらじゅうに散らばっていた。
そう、建築には記憶が宿るのだ。
建築家が設計したものであれ、ハウスメーカーが建てたものであれ。
その記憶の宿った建築は一瞬でバラバラにされてしまった。
そこにあるのは、強烈な記憶の破片と建築の弱さ。
仙台空港から海岸線を北上し、仙台市街へと歩いた。
仙台空港周辺には瓦礫の仮集積場が設置され、そこに向かうダンプカーと自衛隊の車でいっぱいだった。
歩く人は殆どおらず、砂埃の舞う道をひとり歩き続けた。
(2)へ続く
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