2009年11月29日日曜日

ARCHITECTURE AFTER 1995(5)

ARCHITECTURE AFTER 1995展が去る11月17日に終了しました。

ワークショップに参加してくれた学生の皆さん、ギャラリー・シンポジウムにご来場して頂いた皆さん、ありがとうございました。


遅ればせながら、14日に行われたシンポジウムBについて。
(僕は用事があり、遅れて会場入りしたため、ラスト30分しか聴けませんでしたが。詳細はビデオを観て、また後日書きたいと思っています。)

当日のパネリストには、梅林克氏、宮本佳明氏、中山英之氏。

モデレータに、TEAM ROUNDABOUT。


僕が会場入りした時には、すでに質疑応答タイム。

その中で、藤村龍至氏による、この質疑応答のまとめ↓

中山氏・・・仮説を投げ込み続ける。(建築家もその中に入る。建築家が投げ込む側の時代は終わった。)

梅林氏・・・政治(行政)の層にアプローチするべき。

宮本氏・・・「リテラシー」を上昇させる。(ex.)農村、奈良をモデルに。
       農村は高齢化や過疎化が進んでいるが、村は死んでいないし、住人達は幸せに暮らしている。また奈良が滅び切らないのはなぜか。



今回のシンポジウムを含め、この展覧会を通じて考えさせられた事は、「いかに現代社会の状況を読み、その問題点を指摘し、その解決策を提示出来るか」ということ。

建築のみの問題ではない。社会全体を視ることが建築家には必要なのだ。

「かたち」ばかり考えていても、社会問題は何も解決しない。

建築には社会を変える力がある。と信じている。良くも悪くも。


そして、多人数が集まり、ひとつの目的に向かっていく時の力の凄さを実感した。

建築家のイメージといえば、事務所に籠り、スケッチを繰り返しながらデザインを決めていくようなイメージがあるでしょう。

しかし、複数人あるいは多人数で創るという方法は、一人の天才にも勝る可能性を秘めているのだと。

それぞれ異なる個の才が集まれば、もの凄い力が生み出される。

ただし、そこで重要なのは「コミュニケーション」である。

コミュニケーションや意思疎通が上手くいかなければ、どんな人が集まっても良い結果は生み出せない。

そこには、ある程度のルールが必要である。ただし、人の動きを制限するようなルールであってはならない。自然に・自発的に目標に向かって個人が動き出せるようなルール。

それを作りだす事がこれからの建築家には必要であるし、

「自発的なコミュニケーションを生み出す建築」というのが、これからの建築の一つの大きな可能性となるだろう。


今回の展覧会にスタッフとして参加出来た事で、WSでは自発的にみんなを動かすにはどうすれば良いのか、またその難しさを考えるきっかけになったし、

刺激的な活動を行われている実行委員会の建築家のみなさんの考え方や振る舞いを身近で見て感じ取れた事が、素晴らしい経験となった。

今回の展覧会を通じて、出会った人達とこれからも共に活動していきたいと思うし、遅れないように着いていきたいと思う。


この経験を生かすも殺すも自分次第。

出会いこそが財産である。


*宮本氏の「奈良が滅びないのはなぜか」という問いに対しての、僕個人の解答としては、
 
 奈良に住む人は良い意味で「諦めている」からである。現状で満足しているとも言える。奈良に住む人の多くは、奈良の事が好きだし、大阪や京都のような都市にしたいとも思っていない。

また、経済的な発展もさほど望んでいないようにも思える。それは、観光としての充分すぎるポテンシャルを有しながらも、それを経済的に活用していない事からも伺える。

だから、めまぐるしい発展もしないが、決して滅びはしない。自分が奈良に住んでいるからではないが、そんな奈良の街、奈良の人々の県民性は素晴らしいと思う。その点については賛否両論だと思うが。

宮本氏の指摘があってから、以前よりも奈良を視る視点が変わった私です。











2009年11月21日土曜日

book 21














「建築と日常 No.00」(長島明夫 編


「建築にしかできないこと」をテーマに、香山壽夫氏、坂本一成氏のインタビューを中心に構成されています。

個人的には、香山氏と編集者である長島氏との対談の方が興味深かった。

特に「建築と宗教の関係性」についての香山氏の言及は興味深い。

…僕たちはどこかで分かり合えるということで動いている。建築は結局ある段階では自分個人の作業としてしかできないわけで、そこを通してでも最終的にはもう一度、人間に共通というところに繋がるはずだという強い信念、時には消えかかる希望だったりするのだけれど、それを最後まで捨てない。それが、想像というのが基本的に宗教的行為であることを示しています。

歴史と伝統以外に人間を共同に支えるものはない。と言うよりも、歴史は「もの」として客観的に存在しているのではなく、人間の共同性が捉え直したものに他ならない。」


香山氏、坂本氏の他にも建築家や建築以外の著名な方からのメッセージ的な、テーマに対する解答が掲載されているが、どの文章も「建築にしかできないこと」というテーマに対して、明解な解答はないように思われる。

鈴木恂氏は「…建築にしかできないこととなると、相当強引に言い切らねばならない。…」とも言っている。

という事は「建築にしかできないこと」というのは、建築に長年携わってきている方々でさえも、そう簡単に答えられる問題ではないようだ。

むしろ、その答えを探し続けて建築と向き合っていくしかないようにも思えてしまうテーマだと感じた。

そういうテーマを投げかけ、問うていくこの本は非常に面白いと思う。




book 20





「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)、(下)」(村上春樹 著)


村上春樹さんのパラレルに進行していく小説を読むと、

いつも思うことがある。


今、目の前に見えている世界はホンモノなんかじゃなくて、

地面の反対側では、もうひとつの世界が広がっているんじゃないか。

そして、そっちの世界の方が実はホンモノなんじゃないか。


この小説で印象的な文を。

君は事故を見失ってはいない。ただ記憶が巧妙に隠されているだけだ。だから君は混乱することになるんだ。しかし君は決して間違っちゃいない。たとえ記憶が失われたとしても、心はそのあるがままの方向に進んでいくものなんだ。心というのはそれ自体が行動原理を持っている。それがすなわち自己さ。自分の力を信じるんだ。そうしないと君は外部の力にひっぱられてわけのわからない場所につれていかれることになる。」

もう一文。

「人間ひとりひとりはさおれぞれの原理に基づいて行動しておるです。誰一人として同じ人間はおらん。なんというか、要するにアイデンティティーの問題ですな。アイデンティティーとは何か?一人ひとりの人間の過去の体験の記憶の集積によってもたらされた思考システムの独自性のことです。もっと簡単に心と呼んでもよろしい。人それぞれ同じ心というのはひとつとしてない。しかし人間はその自分の思考システムの殆んどを把握してはおらんです。…」


小説には、作者の様々な想いが詰められていると思います。

その内の、どの部分に読者が共鳴し、汲み取っていくのか。

それは読者それぞれ異なるでしょう。

その汲み取り方の種類が多ければ多いほど、その小説は奥深いように思うのです。


ちなみに、僕はハードボイルド・ワンダーランド側を読んでいる時の方が、ワクワク感があってテンションが上がりました。






2009年11月13日金曜日

ARCHITECTURE AFTER 1995(4)


2009年11月8日、ARCHITECTURE AFTER 1995シンポジウムAが大阪工業技術専門学校で開催された。

テーマは「2000年以後を考える」。

プレゼンテータには、垣内光司氏、木村松本、SPACESPACE、dot architects。

パネリストに五十嵐太郎氏、モデレータにTEAM ROUND ABOUT。


この日は、ギャラリー駐在当番だった為、開始30分後に会場に到着。

またしても遅刻し、プレゼンテータの方々のプレゼンは聞けず。

なので、五十嵐太郎氏のお話から、私は聴衆と化した。


まず、2000年に東京・ギャラリー間で開催された「空間から状況へ」展のおおまかな解説。

(1)1960年代に登場したシチュァショニストと(状況主義者)との比較
(2)ユニット派の登場
(3)分かりやすく、非コンピューター的で、テーマに従順な展示


次に、シンポジウム当日AA95展を見ての五十嵐氏による分析。

・「プロセス」を重視している。
・同時にあり、影響(関係)しあう世界観。
・周囲にある環境に影響している。(←これは石上純也氏にも共通する)
・「関係性」に徹底している。
・「AA95展」と「空間から状況展」との決定的な違いは、展覧会を自主的に起こしていること。


次に、プレゼンテーターに対する五十嵐氏の分析。

・dot architects 「超並列」
  理論的には分かるが、具体的に見せるには何か仕掛けが必要なのでは。
  「空間から状況へ」での、みかんぐみの「非作家性」と共通するものがある。

・SPACESPACE 「ヒューマンスケープ」

・木村松本 「編集的経験」

・垣内光司氏 「メタ超並列、小さいこと、つながり」
  「空間から状況へ」でのアトリエ・ワンの「ペット・アーキテクチャー」的な展示。
  会場の条件が違っていれば、また異なる展示になっていたのでは。
  他との関係性を意識している事は、宮本佳明氏的。


五十嵐氏の分析を受けて、プレゼンテーター各氏とTEAM ROUND ABOUTによる分析。

・dot architects 「非作家的作家性、力強い造形」
  非作家的でありながら、建ち上がる建築は特色があるもの・作家性があるものを。ここが、みかんぐみとは異なる。

・SPACESPACE 「コンピュータ的建築」
  身体性を模索するような、具体的な条件をデザインに用いる。

・木村松本 「ミクロなコンテクスト、不完全性」

・垣内光司氏 「非造形的な強度、リアクション的」
  やり続ける事。スポーツにおける筋トレを続ける事で、非造形的な強度を得る事が可能になる。
  自分(垣内氏)には宮本佳明氏のような作家性(強度)はない。


締めくくりとして、五十嵐氏『「空間から状況へ」(2000年)では、95年以後の社会状況の変化がまだまだ見えていなかった。「AA95展」(2009年)は、95年以後の変化が見えてきている。この違いがある。」とした。


この後、会場への質疑応答に入る。

ここで会場から、社会学者の鈴木謙介氏による質問(解説)があった。

『繋がりが新しく生まれたように語られていたが、実はもともと繋がりはあった。

2000年代に入り、「つながると嬉しい」というものが出てきた。
          ↓
人と繋がる為のツール(通信など)が出てきたことで、「会えない人」(会いに行けば良いのに)と繋がる事で嬉しいと言い続けてきた。
          ↓
すなわち、一回分断した後で、繋げる事を言い続けてきた。


2010年代は、上記への批判として「プロセス」を見せる事になる。

つまり、0→1の「→」の部分に介入していく。
この「→」の部分を見せていく事になる。

ただ、「つながり」は新しく生まれたのではなく、元々「つながり」はあったではないか。』


時間の都合上か、鈴木氏の指摘に対する明確な返答はなかった。


このシンポジウムのまとめとして、五十嵐氏、藤村龍至氏からキーワードが出された。

五十嵐氏 「原理」「現象」

藤村氏 「設計」「運動」

そして藤村氏からは、次世代に向けたメッセージも。

「今は運動を立ち上げたもん勝ち。立ち上げて、周囲を巻き込んでいけば、東京も大阪も場所は関係ない。この運動に関わった以上、みなさんも運動(movemennt)を起こそう。周囲を巻き込みながら情報を発信していこう。」


今回のシンポジウムの個人的な感想としては、もう少しプレゼンテーター各氏の設計プロセスに対する考えを深く聞いてみたかった。また、それに対する五十嵐氏の批評、指摘なども。
会場の聴衆には学生も多かった為か、「空間から状況へ」展の内容をイマイチ把握しておらず、話の内容を理解しづらい場面もあったように思う(私を含め)。

やはり、シンポジウムや講演会に参加する際は事前の予習が必要です。
予備知識があると無いとでは、理解が大きく変わってくるはず。










  
 







2009年11月10日火曜日

ARCHITECTURE AFTER 1995(3)




11月7,8日に大阪工業技術専門学校にてAA95展のワークショップが行われた。

先日のワークショップ・イントロダクションから一週間。参加する学生達100名がどれだけ高い意識で来場してくれるのか楽しみにしていた。


が、初日の時間通りに集合したのは約40名。どういう事だ。。。

この人数でどうやって目標を達成するのだ?と不安に思っていると、徐々に集まってきて、30分経つ頃には、ほぼ全員揃っていた模様。

中には無断欠席する人もいたが。

学生だから許される問題ではない。

完全にスタートダッシュに失敗。


私は、準備に追われていたため聴けなかったが、東京より株式会社BENAさんに来て頂き、新たな模型用品のプレゼンを行って頂いた。

後から実演して頂いたが、スチカッターなる道具、かなりヤバイ。
これを使えば、模型製作時間はおそらく半分ぐらいになるだろう。

セットで9000円と、学生には少々高いお値段だが、いつか購入する事を心に決めた。


さて、ワークショップの方はというと、初日は明らかにチーム内のコミュニケーション不足。

どこか集中力を欠いた人が多かった気がする。


学生の事ばかり言ってしまっているが、運営側となる私たちにも反省点はある。

アシスタントスタッフである私達が、学生に何をアドバイスすべきか明確になっていなかった点。

この点は藤村さんに指摘頂き、①カッティングマットの位置をチェックする。②姿勢をチェックする。③机の上を整理しながら作業しているかどうかをチェックする
という3点に絞って、アシスタントスタッフが会場内を回るようにした。

そうする事で、模型の効率・精度の向上のみならず、チーム内・スタッフと学生とのコミュニケーションも倍増し、会場全体の雰囲気も変わっていった。

しかし、初日の結果は模型61個に留まる。

この調子では、300個など到底無理だ。どうしたものかと考え、twitterで呟いていると、

藤村さんから「明日は時間管理を徹底せよ。君が目標達成の鍵を握る。」と指令を頂く。

私は8日の午後からギャラリーの当番になっていたため、午前中で時間管理を徹底させる事に全身全霊を注ぐ事を心に誓った。


2日目。藤村さんの指令を実行するために、まずアシスタントスタッフ全員に「今日は時間管理が勝敗を分ける」事を伝える。
さらに、同じ学生という立場の私達スタッフから言われるよりは、建築家の皆さんから言われた方が、参加する学生には効果的なのではと考え、dotの赤代さんに集合したらまず学生に伝えて欲しいとお願いした。

dot赤代さんが時間管理について学生に伝え、私が一人一人に模型一個あたり何分かかり、目標達成するにはどうのように時間配分するのかを聞いて回った。

そうする事で、一人一人が時間・目標を意識し、全体の雰囲気も変わってくるのではないかと考えた。

各チームを回っていると、一人一人で時間配分を決めているチーム、2人1組となって模型1個にかける時間を短縮しようと試みるチーム、チームで時間割を決めているチームなど、それぞれ個性が見えて興味深かった。

そうこうしているうちに、私はギャラリーに向かわなければならない時間となり、時間管理の全権をdotの安川氏に委ね、会場を後にした。

最終結果から言うと、239個と目標には到達しなかった。

安川氏の話では、最後の2時間は会場全体の雰囲気がまた変わって、どんどん模型が増えていって良かったとの事。

初日60個、二日目180個と、二日目は初日の3倍の成果を挙げた。そう考えると、やはり初日のスタートの悪さが悔やまれる。
スタッフとしてもっと出来る事があったはずだ。

239個という結果の良し悪しは簡単には言えないが、模型239個が並ぶ姿は壮観であった。

こんな光景はなかなか見られない。

素直に、このワークショップに関われて良かったと思えた。

参加した学生もそう思ってくれたら幸いである。


このワークショップで個人的に勉強になった事は多い。

特に、「人を動かすためにはどうするべきか」を多く考えさせられた。

はじめは手伝い程度で参加するつもりが、いつの間にか勉強の場となっていた。

藤村さんをはじめ実行委員の建築家のみなさん、スタッフのみんな、学生のみなさん。

それぞれから勉強させて頂いた。

何をするにもコミュニケーションが大事。

このイベントで成長させてもらっている。

ARCHITECTURE AFTER 1995(2)


11月6日、ついにARCHITECTURE AFTER 1995展が開催された。

初日となる6日には、キックオフ・ミーティングが大阪工業技術専門学校で行われた。

パネリストには、社会学者の鈴木謙介氏と建築家の藤村龍至氏。


スタッフとして今回の展覧会に参加している私は、受付業務を済ましてからの参加だったため、藤村氏のプレゼンはほとんど聴けず。

鈴木謙介氏のプレゼン開始後に聴衆に紛れ込む。

95年以後のポイントとして、①郊外育ちの世代が大人になったこと、②「社会の二極化」が挙げられた。

①街(都市)に行くと「祭」がいつも行われていて、家(郊外)に帰ると日常がある。
 
  現在の日本ではその状況が当たり前のようになっているが、この状況が 当たり前のようになる過程とともに成長してきたのがこの世代の特徴と言える。
  すなわち、「郊外=ジモト」と感じる世代が大人になったのが95年であ る。
  そして郊外における公共空間の役割を、SCやモールといった消費のレ ジャーランドが担うようになる。

②「郊外=ジモト」世代が大人になると同時に、就職氷河期が到来。
  
  都市に出て行き不安定雇用に従事
          ↓
  ワーキング・プアやホームレスといった人達が現れるようになる。  (=(ある階級以上の人達にとって)都市に秩序を乱す存在が増えたように感じる。)
          ↓
  「体感治安」の悪化(何もししないのに彼らが犯罪を起こすのではない  かという不安)
  
  その結果、選ばれた者にだけ優しい「空間=都市」と、「夢の消費空  間=郊外」への二極化が進んだ。


途中から、鈴木氏と藤村氏のコラボレーションによるレクチャーとなる。

藤村氏 「現代の社会全体はバンド化しているのに、建築はオーケストラのまま。このオーケストラという形態は郊外で生かせるのではないか。コミュニケーションの装置として働くのでは。」
     
     「何かを作る事そのものが、同時にコミュニティを作りだすのではないか。」

     「濃密な郊外を作りたいと思っていて、それは建築的プロセスで可能なはず。
      自然に(自発的に)コミュニケーションが生まれたり盛り上がってしまうようなルールを設定したい。」

鈴木氏 「ルールを作る前に、そのルールを決定するための前提(ルール)があるはず。」


このあたりから、議論の内容は「ルール」へ。

Googleとyahooを例として挙げ、説明が始まる。

Googleは直列的なシステムを構築し、アルゴリズム的に目的に到達するのに対し、
yahooをはじめとするプログラムは並列的であると指摘。
すなわち、後者は分業的で1人1人が大きな全体の中の歯車のようである。


ここで個人的に気が付いたのは、dotの「超並列」という設計プロセス。
今回の鈴木氏・藤村氏の指摘と照らし合わせると、dotの「超並列」は直列的でGoogle的である。
言葉の問題かもしれないが、今回の展覧会にdotも参加している事を考えると、今回の講演を聴いてdotは「並列的」なんだと単純に思ってしまう人もいたのでは。。。と一人不安を抱いた。


まとめとして、これからはミンナでルールを作ったり、チェックしていかなれればならない時代。

ルールを選択する、より良いルールに乗っかっていく、自分がルールを設計していく時代。

「人」ではなく。「ルール」を批判出来る知能を、みんなが持つ事。

ルールを決める為の、上位のルール設定がある事を理解しなければならない。

という、聴衆へのメッセージ的な内容で締めくくられた。



長々と書いてしまいましたが、知識の少ない私の文章です。

間違った内容、間違った理解をしている事に気付いた方、遠慮なく教えて下さい。


それにしても、今回のシンポジウムは刺激的だった。

郊外に生まれ、郊外で育ち、前職で郊外の問題を痛感し、建築で郊外を変えていきたいと思っている私にとっては、実に刺激的でした。

建築や都市計画だけの視点で問題を視ていてはダメ。社会学のみならず、複合的な視点で見る事が、あらゆる問題解決には必要なのだと痛感しました。

2009年11月3日火曜日

ARCHITECTURE AFTER 1995(1)


去る11月1日(日)に、AA95展のワークショップ・イントロダクションが行われました。

関西の学生約100名が集結するという事で、楽しみにしておりました。

当日来場してくれたのは7、8割ぐらいでしたが、それでも学生ならでは雰囲気があり、楽しく見させてもらいました。

大学生、専門学生、高校生と、普段は関わる事の少ない人達が一緒になって、1つの目的に向かっていく。

いかにも新しい何かが生まれそうな予感。。。。


95年以降の新建築、住宅特集に掲載された2000以上もの住宅の中から、300の住宅を任意に選び、模型化していくワークショップ。

雑誌に掲載された住宅を1つ1つ見ていき、データ化される作業は想像以上に大変でしたが、

何よりもシャッフルシステムを構築した友人M君に感謝します!

おかげで当日は少しイベントチックな雰囲気になって良かったです。

人が集まれば、それぞれに個性があって、可能性はどんどん広がっていきます。


参加してくれた学生の皆さんも、思っていた以上にチーム内で談笑したりして仲良くなってくれたみたいです。

コミュニケーションを取りやすくなるような雰囲気作りをスタッフ側でしようと考えていましたが、全く必要ありませんでしたね。




1日に参加してくれた学生の皆さん、どうすれば目標300個の模型を精度良く、かつ効率良く作れるか、各チーム1週間作戦を練りに練って下さい!

僕も模型作りの参考にさせて頂きたいと思ってますので!!

7、8日が楽しみです。