2009年11月10日火曜日

ARCHITECTURE AFTER 1995(2)


11月6日、ついにARCHITECTURE AFTER 1995展が開催された。

初日となる6日には、キックオフ・ミーティングが大阪工業技術専門学校で行われた。

パネリストには、社会学者の鈴木謙介氏と建築家の藤村龍至氏。


スタッフとして今回の展覧会に参加している私は、受付業務を済ましてからの参加だったため、藤村氏のプレゼンはほとんど聴けず。

鈴木謙介氏のプレゼン開始後に聴衆に紛れ込む。

95年以後のポイントとして、①郊外育ちの世代が大人になったこと、②「社会の二極化」が挙げられた。

①街(都市)に行くと「祭」がいつも行われていて、家(郊外)に帰ると日常がある。
 
  現在の日本ではその状況が当たり前のようになっているが、この状況が 当たり前のようになる過程とともに成長してきたのがこの世代の特徴と言える。
  すなわち、「郊外=ジモト」と感じる世代が大人になったのが95年であ る。
  そして郊外における公共空間の役割を、SCやモールといった消費のレ ジャーランドが担うようになる。

②「郊外=ジモト」世代が大人になると同時に、就職氷河期が到来。
  
  都市に出て行き不安定雇用に従事
          ↓
  ワーキング・プアやホームレスといった人達が現れるようになる。  (=(ある階級以上の人達にとって)都市に秩序を乱す存在が増えたように感じる。)
          ↓
  「体感治安」の悪化(何もししないのに彼らが犯罪を起こすのではない  かという不安)
  
  その結果、選ばれた者にだけ優しい「空間=都市」と、「夢の消費空  間=郊外」への二極化が進んだ。


途中から、鈴木氏と藤村氏のコラボレーションによるレクチャーとなる。

藤村氏 「現代の社会全体はバンド化しているのに、建築はオーケストラのまま。このオーケストラという形態は郊外で生かせるのではないか。コミュニケーションの装置として働くのでは。」
     
     「何かを作る事そのものが、同時にコミュニティを作りだすのではないか。」

     「濃密な郊外を作りたいと思っていて、それは建築的プロセスで可能なはず。
      自然に(自発的に)コミュニケーションが生まれたり盛り上がってしまうようなルールを設定したい。」

鈴木氏 「ルールを作る前に、そのルールを決定するための前提(ルール)があるはず。」


このあたりから、議論の内容は「ルール」へ。

Googleとyahooを例として挙げ、説明が始まる。

Googleは直列的なシステムを構築し、アルゴリズム的に目的に到達するのに対し、
yahooをはじめとするプログラムは並列的であると指摘。
すなわち、後者は分業的で1人1人が大きな全体の中の歯車のようである。


ここで個人的に気が付いたのは、dotの「超並列」という設計プロセス。
今回の鈴木氏・藤村氏の指摘と照らし合わせると、dotの「超並列」は直列的でGoogle的である。
言葉の問題かもしれないが、今回の展覧会にdotも参加している事を考えると、今回の講演を聴いてdotは「並列的」なんだと単純に思ってしまう人もいたのでは。。。と一人不安を抱いた。


まとめとして、これからはミンナでルールを作ったり、チェックしていかなれればならない時代。

ルールを選択する、より良いルールに乗っかっていく、自分がルールを設計していく時代。

「人」ではなく。「ルール」を批判出来る知能を、みんなが持つ事。

ルールを決める為の、上位のルール設定がある事を理解しなければならない。

という、聴衆へのメッセージ的な内容で締めくくられた。



長々と書いてしまいましたが、知識の少ない私の文章です。

間違った内容、間違った理解をしている事に気付いた方、遠慮なく教えて下さい。


それにしても、今回のシンポジウムは刺激的だった。

郊外に生まれ、郊外で育ち、前職で郊外の問題を痛感し、建築で郊外を変えていきたいと思っている私にとっては、実に刺激的でした。

建築や都市計画だけの視点で問題を視ていてはダメ。社会学のみならず、複合的な視点で見る事が、あらゆる問題解決には必要なのだと痛感しました。

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