ARCHITECTURE AFTER 1995展が去る11月17日に終了しました。
ワークショップに参加してくれた学生の皆さん、ギャラリー・シンポジウムにご来場して頂いた皆さん、ありがとうございました。
遅ればせながら、14日に行われたシンポジウムBについて。
(僕は用事があり、遅れて会場入りしたため、ラスト30分しか聴けませんでしたが。詳細はビデオを観て、また後日書きたいと思っています。)
当日のパネリストには、梅林克氏、宮本佳明氏、中山英之氏。
モデレータに、TEAM ROUNDABOUT。
僕が会場入りした時には、すでに質疑応答タイム。
その中で、藤村龍至氏による、この質疑応答のまとめ↓
中山氏・・・仮説を投げ込み続ける。(建築家もその中に入る。建築家が投げ込む側の時代は終わった。)
梅林氏・・・政治(行政)の層にアプローチするべき。
宮本氏・・・「リテラシー」を上昇させる。(ex.)農村、奈良をモデルに。
農村は高齢化や過疎化が進んでいるが、村は死んでいないし、住人達は幸せに暮らしている。また奈良が滅び切らないのはなぜか。
今回のシンポジウムを含め、この展覧会を通じて考えさせられた事は、「いかに現代社会の状況を読み、その問題点を指摘し、その解決策を提示出来るか」ということ。
建築のみの問題ではない。社会全体を視ることが建築家には必要なのだ。
「かたち」ばかり考えていても、社会問題は何も解決しない。
建築には社会を変える力がある。と信じている。良くも悪くも。
そして、多人数が集まり、ひとつの目的に向かっていく時の力の凄さを実感した。
建築家のイメージといえば、事務所に籠り、スケッチを繰り返しながらデザインを決めていくようなイメージがあるでしょう。
しかし、複数人あるいは多人数で創るという方法は、一人の天才にも勝る可能性を秘めているのだと。
それぞれ異なる個の才が集まれば、もの凄い力が生み出される。
ただし、そこで重要なのは「コミュニケーション」である。
コミュニケーションや意思疎通が上手くいかなければ、どんな人が集まっても良い結果は生み出せない。
そこには、ある程度のルールが必要である。ただし、人の動きを制限するようなルールであってはならない。自然に・自発的に目標に向かって個人が動き出せるようなルール。
それを作りだす事がこれからの建築家には必要であるし、
「自発的なコミュニケーションを生み出す建築」というのが、これからの建築の一つの大きな可能性となるだろう。
今回の展覧会にスタッフとして参加出来た事で、WSでは自発的にみんなを動かすにはどうすれば良いのか、またその難しさを考えるきっかけになったし、
刺激的な活動を行われている実行委員会の建築家のみなさんの考え方や振る舞いを身近で見て感じ取れた事が、素晴らしい経験となった。
今回の展覧会を通じて、出会った人達とこれからも共に活動していきたいと思うし、遅れないように着いていきたいと思う。
この経験を生かすも殺すも自分次第。
出会いこそが財産である。
*宮本氏の「奈良が滅びないのはなぜか」という問いに対しての、僕個人の解答としては、
奈良に住む人は良い意味で「諦めている」からである。現状で満足しているとも言える。奈良に住む人の多くは、奈良の事が好きだし、大阪や京都のような都市にしたいとも思っていない。
また、経済的な発展もさほど望んでいないようにも思える。それは、観光としての充分すぎるポテンシャルを有しながらも、それを経済的に活用していない事からも伺える。
だから、めまぐるしい発展もしないが、決して滅びはしない。自分が奈良に住んでいるからではないが、そんな奈良の街、奈良の人々の県民性は素晴らしいと思う。その点については賛否両論だと思うが。
宮本氏の指摘があってから、以前よりも奈良を視る視点が変わった私です。
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